2004年12月31日
End of the year 2004

あっというまの大晦日。
実家に戻りトラヴィス(ビーグル犬雑種)と再会を喜び合う。
トラヴィスは歳のせいか、最近は一日の大半を眠って過ごしているそうだ。
そんな様子を見るにつけ、年月の経過を実感する。
犬も人と同じで、歳をとると足腰が弱くなるようだ。
下半身(後ろ足)の筋力がだいぶ落ちたように思える。
散歩に出ると、しゃがみこんだまま随分と長い時間停止して、ようやくウンチをする。
これも筋力低下によるものか。
以前はジャンプして飛び乗っていた車のシートにも、もう自力で上がることは出来ない。
そんな時はしかたなく抱きかかえて乗せてやる。
おまえが八王子の野山を駆け回っていた野良犬時代、友人の某アーティストに拾われて、
流れ流れて僕の立川の実家にやって来てから、もう10年が過ぎようとしている。
こっちに来てから、シアワセなのかい?どうなのよ、そこんとこ?ホントのきもち。
そんな気持ちを知ってか知らぬか、トラヴィスはこの文章を書いている僕の後ろでまた大きなあくび。
大晦日の今日は、新年にそなえてシャワーを浴びるんだよな。
2004年12月28日
In A Silent Way

年末の片付けをしていると、ポロッと古いCDが棚から落ちた。
もう買ったことすら忘れていたヴィム・ベンダースのフィルム「東京画」のサントラ。
1曲目の歌詞が無性にせつない。
----------------------------------------------------------------------------
愉快なおじさんつれられて、ちっちゃな時計は宝物。
母様見送る村はずれ、お馬に揺られて砂漠の果てをどこまでも。
僕たちとっても嬉しくて、ころころころとでんぐり返る。
僕たち花びら包まれて、花粉にまみれて眠ります。
お船に乗って大きな川をどこまでも。
見上げれば、夜空にお星様。この川下れば星の国。
僕たち星くず数えては、お祈りしますシアワセを。
----------------------------------------------------------------------------
決して終わりじゃあないのだけれど、この歌詞の終末感はなんなんだ?
年末の気分にシンクロしてしまった一枚。〜大掃除のBGMでした。
2004年12月26日
Birthday Party

国立の南仏料理レストランにて、母の?回目の誕生日パーティ。
最近では家族そろって街に出る事なんか滅多に無いので、なんだか面白い。
そこが普段自分一人でサクサクと徘徊しているテリトリーの場合などは特に。
妹の子供(二人の甥っ子:2歳と5歳)は会うたびに本当に変わるので、そのペースには本当に驚かされる。
きっと全身の細胞が日々もの凄い速度で分裂し、成長を続けているのだ。
彼らを眺めている時、僕はかつての幼少時代を(逆)追体験?しているのだろうか。
人目を気にせずハナクソを豪快にほじったり、子供の世界は本当に楽しそうだ。
プレゼントに何をあげようかと悩んだ挙げ句に、母にはプロユースの包丁を。
随分長いこと肉や野菜を切り続けた先代の包丁さんには引退してもらい、これでまた、かわいい孫や子供においしい料理を作ってやって下さい。チャンチャン。。
2004年12月25日
X'mas Kettle

とても寒い日だった。
東京芸術大学の美術館へ、西洋と東洋の版画芸術をテーマにした展覧会に行く。
その帰り道、上野駅に向かって歩いていると、どこからか聞こえる金管楽器のユニゾンの綺麗なハーモニー。
ふと目をやると、「社会鍋」の文字が。
師走の風物詩の一つ、社会鍋をご存じですか?
「社会鍋」とは何か? 僕も見聞きする程度で余り詳しくは知りませんでしたが、調べてみると今から90年以上前、1909年に救世軍(Salvation Army)が街頭での募金を始めたのがそのルーツらしいです。当時は失業者救済対策としての基金を募ったそうで、現在に至るまで続いている社会奉仕活動です。社会鍋なんて、なかなか意味深なネーミングですね。歴史の深さと言うか、彼らの服装が時代を超えていて格好良く、とても演劇的に見えました。勿論外見にだけ関心を向けていた訳じゃないのですが。
普段社会なんてあんまり意識しないので、こういう形で直球でこられると何だか不意打ちなのです。
気忙しい年末の空気の中にあって彼らの存在が少しだけキモチをほぐしました。
この世もまだ捨てたモンじゃない、って具合に。
2004年12月24日
This Christmas

本当は年賀状を作るはずだったのに。
そこらの紙切れに適当に鉛筆で絵を描いていたら、案の定、脱線。
気がつくと年賀状と全然関係の無い絵を描いていました。
無理矢理に「緑」と「赤」で色を付ければ、もしかしてクリスマスカードに!と安易に考えて、上の作品が完成。
、、、しかしまだ、年賀状は手つかず。
とにかく、聖なる夜です。
皆々様のところに素晴らしいヒトトキが訪れますようお祈りしております。
2004年12月23日
GOODGREEF

(ご主人さま〜お買い物もほどほどにして、もう帰りましょうよ〜)
(僕はさっきからずっとおしっこを我慢しているんだよ〜)
(いっつもこうなんだからさ〜、、、まったくも〜)
2004年12月22日
BIG WAVE

ようやく冬らしい天候が続いてます。
でも、もう12月も後半なので、当たり前なんですがね。
なんでも2004年はあと9日しか残っていないらしい。
毎年思うのですが年末の空気感って独特です。
大晦日という名の堤防に打ち寄せる波が、徐々に大きくなる感じだ。
自分ではそんなに意識していないのに、有無を言わさぬこの状況。
あまり乱されないで、ひとつひとつ丁寧に進めるとしようか。
2004年12月20日
a prophet

ビックリする話を聞いたよ。
それは虫と地球の不思議な関係についての話。
新潟県長岡市に酒井與喜夫氏という、ある会社の代表取締役でもあり、
工学博士でもある有名な方がいるらしい。
その方が、豪雪地帯で有名な長岡の毎年の積雪量をピタリと当てるというのだ。
氏は長年にわたり昆虫のカマキリを観察し続けるうちに、
「カマキリの卵の包みは、最大積雪のちょっと上に産み付けられる」という事実を発見したそうだ。
卵の包みは雪に浸かるわけにはいかない。水分で死んでしまうからだ。
しかし高く生みつけた場合、鳥に襲われる危険が増す。
つまり、カマキリは生存をかけたぎりぎりの高さを知っているということなのだ。
恐るべし。
氏は、なぜカマキリがそんな事を知ることが出来るのかを更に調べるうちに、
カマキリは卵を産みつける樹木の出す水音を聞いている、という事が分かったという。
なんでも木は、それぞれ独特の音を発しているらしいのです。
これでも充分サプライズなのですが、
もっと凄い事にカマキリは先頃発生した新潟県の地震も、予知していたらしいのです。
酒井氏の発行する冊子には、
「カマキリの観察によると、小千谷市から長岡市、北は弥彦山辺りまでの区間。地震がありそうです」
とあったのです。
印刷が上がり、配布しようとしたまさにその時、新潟県中越地震が発生したのです。
なぜそのような考えに至ったかと言うと、可能性のある断層の上だけ、
周りと比べて最大8倍もの高さに卵が産み付けられていたからなのだそう。
偉大なる予言者はノストラダムスではなく、カマキリだった。
みんなでカマキリを飼って、地震予知に役立てましょう。
でも高層マンションとかビルの屋上に卵が沢山産みつけられたら焦りますね。
2004年12月18日
A Better Future

若い人たちと渋谷のセンター街ど真ん中の隠れ家風の居酒屋へ。
これまで何度も歩いていた道なのにノーマークだった。
灯台もと暗し。
このグループに関わりだして、僕はまだ数ヶ月なのに、
お互いにもう随分と長い間知っているような感覚がある。
それぐらいacceptableな雰囲気という意味。
コマーシャル・ノンコマーシャルのどちらで仕事をしていようとも、
良質なものには変わりはない。
そういう感覚が実感を伴っている、非常に希有な集まりに加わることが出来た。
店を出ると、あいかわらず渋谷の街は試合が終わったスタジアム状態。
浮き足だった人々に同調するように、なんだか気分の良い夜。
こんな事はちょっと珍しい。
2004年12月17日
Temptation

恋が始まる「モテ目力」バイブル
モテ・ヘアのカギは「前髪」にあり
真冬のヒロイン14Days×3
売切れ前に買う!とことん使える靴
「ジーンズ」冬の着こなしこれが最終結論!
恋する着まわし31日間カレンダー
「美人はやさしい嘘をつく」せつなさを大切にするために
電車の中吊り広告のコピーって、ついつい目がいく。
それにしても最後の「せつなさを大切にするために」ってのは、また微妙系コピー!?
大上段に構えている視点はもはや文学的ですらある。単なるニュアンスだけなんだろうが、、。
代理店勤めの知人から聞いたのですが、
コピーとしてはもうすっかり馴染んだ感のある「勝負服」とか、
「1週間着回しテク」には、著作権があるそうだ。
調べたら「勝負服」って、本来の意味は競馬のレースで騎手が着ている服(上着)のことらしい。
確かにライバルを倒して素敵な彼氏をゲットするのだから、大筋では間違ってはいない。
それにしても、日本人のカットアップのセンスって凄いです。
巧妙な誘い文句にはいつも感心させられるよ。
2004年12月15日
RELAX

ちっともオシャレじゃない街だけど、くつろいだ気分になれる街。そんな街を発見した。
今日は週に一度、仕事で蒲田に行く日なので、昼前に新車に乗って(あ、自転車です。)さっそうと出発。
ある程度自転車で走ってから電車に乗るつもりで、
リズムに乗ってペッタンペッタンとペダルをこいでいるうちに、とある駅にたどり着いた。
普段は電車から見ている駅。
そこはスタバも無印もユニクロも無くって、フランチャイズ侵略のエリア外、
企業のスキャニングからはじかれた場所。
「部長!マーケティングリサーチの結果、経済的価値の無い地域です!」
そんな営業マンの声が聞こえてきそうだ。
こういう場所って、
なぜだかおじいちゃんとおばあちゃんがやたら多くてホッとします。
2004年12月14日
2004年12月13日
Pollen Path

明日ロンドンへ戻ってしまう盟友Tと、互いのスケジュールの隙間を見つけ1時間だけ会う。
初めてパディントン駅近くで会った時、凄い長髪でボヘミアンみたいだったT。
共にポルトガルを旅したり、どっちの方が鍋でごはんを炊くのが上手いか?(飯炊き名人バトル)とか、、、
いろいろあったっけ。
そんな彼も今は立派にロンドンで設計事務所の経営をしている。
お互いの立場を明確にしながら、今後の可能性について語り合う。
いつかいっしょに仕事ができるといいよね。
2004年12月12日
2004年12月09日
Why am I here ?
大事な集まりのために、有楽町へー。
そこはアニメ「未来少年コナン」のインダストリアみたいな場所だった。
空高くガラスの壁が積み上げられた土木の結晶。光の要塞。
Gブロックと呼ばれる棟の8階まで、限りなく無音にちかいエレベーターに乗った。
降りるとそこにはえらく横長なバルコニーがあって、下を見ると米粒みたいな人がまばらに歩いているのが見えた。
しかも今日の僕は普段着慣れない背広にネクタイまでしめている。
相変わらず聞こえるのは空調の「コーーーッ」という音だけ。
建築と人間がもっと自然に対話できたらいいのに。
極端な話ですが、アフリカには象の糞を固めただけの家もあるらしいですね。
2004年12月08日
MARKET CLASH
寒い季節にアメ横に行くと、不思議といつでも年末気分に襲われるのは僕だけでしょうか?
威勢の良い「はたらくおじさん」たちのかけ声!
「今年最後の松茸だよ!今日で終わり!もう来年まで食べれないよ!」
でも僕は、直後に「うそつけ!明日来てもあるくせに。」
と頭の中でつぶやく。
場の雰囲気とは恐ろしいもので、こんなベタな売り言葉でも何人かは足を止めていた。
露店をひやかし、甘栗、豆、乾燥キウイなんかを試食しながら練り歩く。
それにしても東京の中にあってアメ横だけは、僕が小学生の頃から何も変わらないなあ、、。
2004年12月07日
RPG
A:そういった用件でしたらBへお尋ねしてみたら如何ですか?
B:そういった用件でしたらCへお尋ねしてみたら如何ですか?
ある事を実行させたくて、会場になる場所をリサーチすべく、某区役所の管轄に電話をかけていたのだ。
担当官は典型的な「Mr.事なかれ主義」さん。次に聞いた人は「Ms.事なかれ主義」さん。
こっちの意図なんて関係ないのだ。彼らはレコードではなく、上手にたらいを回すDJ.
僕はあっちこっちへ転がされる。
それはまるで終わりのないロールプレイングゲームみたいに。
2004年12月06日
Group Consciousness
スパイク・リー。
she's got have it.の頃から気にしている監督。
気になって作品リストを検索したら、ほとんど全部観ていた。僕は特にダイアローグに引きつけられる。
クロッカーズ(1995)のような作品が観たいなあ〜と思っていたところに、丁度良いタイミングでこの「25時」(原題:25th hour)を観ることができた。これもまた、今のアメリカを伝える作品だ。
25時間後に収監されるモンティ(ノートン)の、最後の1日を追っていくお話。
最近は友情と書くとなんだか白々しいんだけど、周囲の人々のその友情の描き方がたまらなく人間臭くって「グッ」ときた。
ある一線を越えることで世界が変わってしまう事の恐ろしさを、淡々と描いています。表面的には何ら代わりのない日常がしっかりと根を張って横たわっているのがポイントでしょうか。。。
2004年12月05日
Strange Light
バタバタバタと昨晩の東京はけたたましかった。
季節はずれの台風?のような嵐に見舞われ、家の前の銀杏の葉は散乱。
台風一過の上空は人工衛星まで透けて見えそうな深い青。
それとは逆に地上は様々なものが街に散らかってキタナイ。
ジャケット、シャツ、ネクタイとばっちりなのに、下半身はパンツいっちょう。
そんな感じのアンバランスな風景。
それにしても本日の東京の気温は26度もあったそうです。
12月ですよ、おかしいと思いませんか?
2004年12月03日
What Is Food ?
最近玄米ごはんと野菜中心のオーガニックな食事をしている。
長年にわたり、先入観から肉がないと食事じゃないと思っていたけれど、
ヘルシーな食生活がこんなにおいしいと思える自分に新たな発見をした思いだ。
今までの味覚が浄化され、微妙な味に舌が敏感になってきたように感じる。
このことは味の奥深さに気づいたことはもちろん、体にもおいしいというオマケが付いてきたのだ。
びろうな話だが、なによりも通じがいい。
排泄って人間の3大欲求のひとつ「食欲」を陰で強力に支える快感のように思えるし、
これはもしかすると食べることと同じくらい大切かも知れない。入口だけじゃなく出口も大切に、、、
そんなんで我が家の食卓ではだんだんと精進料理っぽい、いわゆる和食献立になってきている。
インドでは「精進」をヴィーリャというそうだ。それを中国人が「精進」と訳して日本へと伝来し、根付いたらしい。
その知恵は、主に野菜を「春苦み、夏は酢のもの、秋辛み、冬は油で合点して食え。」と言うそうだ。
植物性食品が中心だった昔のニッポン人の食生活は、自分たちの親世代まで連綿と続いていた訳だから、
今も我々のDNAの中にしっかりとプログラムされているのは当然のことかも知れない。
僕はこれまで(量にもよるけど)肉のようなぎゅっとつまった塊を食すると、
決まって胃腸がズンと重くなりdepression(:n. 下落; 沈下; くぼみ)に襲われることがしばしばだった。
肉を食べる事で自分が負ってしまうこのリスクを考えると、本当はあまりいらないのかも。
勿論、僕個人があまり胃腸ストロンガーで無いので、胃液のタフな方々へのひがみも入ってますが。
マジにストイックな精進料理という訳ではなく、パンや魚だって食べるが、
まあとにかく、初級ベジタリアンなのである。
現代の食事って贅沢なようで、その一方食べる事をインスタントにやり過ごしているという感じだ。
思想的には共感するスローフードも良いけれど、何を食べるかのホワットイズフードにも目を向けよう。
2004年12月02日
Tai Chi Chuan
「あー!また来た!」
今日こそは注意されないようにと気合いを入れてやっていたのに。やっぱりまただ!
太極拳のレッスンに通い始めて早や数ヶ月。
24式といういつもの動きに入る前の中腰のポーズで、必ずと言って良いほど僕だけフォームを直される。
みんなと同じにやっているのに。ぶつぶつ。
太極拳は「気」と密接に関係している。お陰で「気」の存在を以前よりも実感するようになったかも。
実際にレッスンで感じる事なのだけど、体が弛緩した状態で動くと不思議な浮遊感に包まれます。
太古の人々は、さぞかし見えないものへのアプローチがうまかったのでしょうね。
見えないものと言えば、その中腰のポーズで全員が5分ぐらいじっとしているのですが、
静まりかえった部屋で、「ブーッ。。」とおならをするおじさんがいました。
こういう状況だと笑いをこらえるのが本当に大変です。
まだ僕は見えないものへのアプローチがへたくそです。
2004年12月01日
Life Is A Fairy Tale
あっけらかんとした話。風変わりな話。
「ホテル・ニューハンプシャー」
幾度となく観ているけど、形容に困る愛すべき一遍の映画だ。
ホテルを夢想する父親に小人症の娘、ゲイの息子、はてはレイプ事件、愛し合う姉弟。
次から次へと巻き起こる尋常でない出来事と、あらゆる問題を抱え込んでいるベリー家。
それに加えて落ち込むと熊の着ぐるみに閉じこもる女。
こんなにも過酷とも思える状況なのに、何故かそこから悲壮感は感じられない。
それよりもむしろ、みんなが前へ前へと進む力に圧倒されてしまう。
激しく風変わりな人々が懸命に生きている姿にこちらが揺さぶりをかけられる。
サイダーハウスルールもそうだったけど、アーヴィング作品にはいつもあの独特のカンカクがある。
観ていると突然何かが「すとん!」と落ちていく。まるで憑きものが取れるように。
そのカンカクを味わいたいがために、僕はこの先もまた観ることになるのだろう。
最後にLife Is A Fairy Tale(人生はおとぎ話)とは、小人症の娘リリーの台詞。
こんな事を言われると、些細なことで、うじうじと悩んでいる自分がばからしくなってしまいます。

